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浦和地方裁判所 昭和53年(行ウ)6号 判決

原告 日下正一

被告 所沢公共職業安定所長

主文

被告が昭和五〇年一〇月三〇日付で原告に対しなした雇用保険被保険者資格取得を否認する旨の処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  本案前の主張

1  原告

原告が受けられるべき雇用保険法二二条一項一号の求職者給付の所定給付日数三〇〇日は、離職の翌日の昭和五〇年七月二六日から一年の期間内の失業している日であり(同法二〇条)、すでに経過しているが、原告は右期間中も失業していたから、本訴請求が認容されたときは右期間中の保険金の給付請求権の存在が確認され、また、本訴によつて被告の処分を取消すのでなければその目的が達しえないから、原告は受給期間経過後であつてもなおその処分取消を求める法律上の利益がある。

2  被告

右原告の主張事実を争う。

二  原告の請求原因

1  株式会社飯能光機製作所(以下「飯能光機」という。)は、眼鏡レンズの製造を業とする会社であつて、雇用保険法等社会保険の適用を受ける事業所である。

2  原告は、昭和四二年三月一五日飯能光機と後記のとおり雇用契約を締結し、同社の従業員として勤務し、雇用保険法の求職者給付を受ける資格を有していたものであるが、昭和五〇年七月二五日同社より解雇され離職した。

3  原告は昭和五〇年八月二〇日被告を通じ労働大臣に対し、雇用保険法八条により被保険者資格取得の確認請求をなしたところ、労働大臣から権限を委任された被告は同年一〇月三〇日付で原告に対し、原告と飯能光機との間には雇用関係が存在しなかつたとの理由で、原告の被保険者資格取得を否認する旨の処分(以下、「本件処分」という。)をなし、その頃、原告に通知した。

4  そこで、原告は同年一一月八日埼玉県雇用保険審査官に審査請求をしたが、昭和五一年三月二三日付で右請求は棄却され、同年四月七日原告に通知された。ついで原告は同年六月五日労働保険審査会に再審査請求をなしたが、昭和五三年一月二一日付で右請求を棄却する旨の裁決がなされ、同年二月一〇日原告にその旨通知された。

5  しかしながら、原告は、雇用保険法四条にいう「労働者」に該当し、同法上の被保険者資格を取得したものであるから、本件処分は被保険者資格取得の認定を誤つた違法がある。その事情は次のとおりである。

(一) 飯能光機の副長(副所長)杉本久敬(以下「杉本」という。)と労働省職業訓練局主任職業訓練指導官石川淳二(以下「石川」という。)とは親交があつたが、杉本が石川に相談し、石川が日本生産性本部茗谷会(以下「茗谷会」という。)を推薦し、茗谷会の指示により原告が飯能光機と労働契約をするにいたつた。しかし、茗谷会は、経営コンサルタントの任意団体で、原告がその会員であるが、茗谷会との間に何らの雇用関係もなく給与その他の労働条件につき茗谷会と契約関係に立つものではない。雇用に際し、原告は右杉本と面接し、実質的な人物及び能力判定を受けた上、飯能光機に採用されたものである。

(二) 当初の契約当時飯能光機は旭硝子株式会社(以下「旭硝子」という。)の子会社で、経営方針が親会社一色で独自性に乏しく、労使関係の対立も激しく、組織機構をはじめ人事、労務、経理などの管理体制が確立されておらず、そのために、諸種の内部規程を整備する必要があり、また、当時赤字経営であつたためその業務を改善する必要に迫られていた。したがつて、経営コンサルタントは、企業の一員になり、経営者である副長杉本らのその時々における経営方針に沿い総合的な観点に立つて企画立案し、会議で決定された事項について継続的にその実施につき指導監督し、長期にわたつて、会社業務の改善を実現することがその使命であつた。契約方式の点からみると、企業外から個別的一時的(静的)診断を行なう委任としてではなく、企業内の一員となり総合的継続的(動的)指導監督による実施までを内容とする雇用がその目的に適していた。

(三) 右(二)の目的からみて明らかなように、原告は副長杉本に直属する相談役、顧問役の地位にあり、杉本が、常時原告と相談の上、企画立案すべき内容について直接指示し、その完成期限も個々に定めて、その仕事を指揮し監督していた。

(四) 原告が飯能光機で業務をした前記約八年間の業務内容は、極めて多岐にわたるが、(1)飯能光機の組織機構の抜本的改善、(2)労使関係の正常化、(3)人事管理の確立、(4)経理管理の確立、(5)業務改善、(6)人材の指導育成などの企画、立案、会議への出席と原案の説明、意見陳述、決定された事項の実施につき関係職員を指導し監督することなどである。

(五) 出務状況は、(1)一か月に一二日程度で、飯能光機の指定した日に出勤し、それ以外の日は自宅でその準備作業をした。実際の出勤日数は別表出勤日数該当欄記載のとおりである。自宅に居た日も飯能光機の業務にのみ専念しており、他の者からの経営相談を受任したことがない。もつとも、初期の段階で、従前の勤務先の森川産業株式会社(以下「森川産業」という。)に後始末のため若干日数行つたことはある。(2)出勤した場合の勤務時間は一日平均七時間程度で、午前九時三〇分から午後七時ころまでの間(但し、他の従業員と同様の休憩時間を含む。)であつた。原告は常に飯能光機の指示に従い退社時刻を守り、早退したことがなかつた。(3)執務場所は、副長杉本と原告とが机を並べていたことが多く、時期的に、総務課内、会議室内などに移つたが、抽出のある机でそこで十分に執務できるものであつた。

(六) 労務の対価は、(1)雇用された際飯能光機工場長柴田直の報酬月額が金一五万円であつたので、その八割相当の金一二万円と定め、この給与に見合うよう一日金一万円の割合で月一二日出勤すればよいものと定められ、いわゆる日給月給であり、その後従業員の給与改訂に伴ない逐次増額された。その関係は別表の日給額、年間給与額該当欄記載のとおりである。(2)日給月給で仕事の内容に関係がなく一定しており、出務しなかつた日の給与はその仕事の完成に支障がない場合でも差し引かれた。委任契約に基づく報酬である場合には、茗谷会の方で定めた一応の基準があり、これに従つてその報酬を計算すると、別表規定報酬額欄記載のとおりとなるところ、実際に原告が取得したのは、別表年間給与総額のとおりであつて、規定報酬額より低廉(約三分の一)であり、その差額も多額に及ぶ(別表該当欄記載のとおり)ことからみても、その契約が委任ではなく雇用であることが明らかである。もつとも、原告が飯能光機に対し、茗谷会原告名義の領収証を発行しているが、中山総務課長の指示に従つたのにすぎない。(3)原告が飯能光機に対し給与増額を求めた際、指導料の名目を使つたとしても右雇用関係に影響がない。(4)飯能光機が原告に対する給与支払につき所得税の源泉徴収をしなかつたが、それは飯能光機の誤りであり、雑費の費目ではなく、雑給の費目より支出すべきであつた。(5)飯能光機が原告に対し賞与、退職金の支給をしないのは、前記のような日給月給の定め方によつたためであり、それは雇用関係を否定する事情にあたらない。(6)出務日の原告の昼食費は自ら負担していた。

6  よつて、原告は被告に対し、本件処分の取消を求める。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中雇用契約の点は否認し、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は認める。

5  同5の主張は争う。原告は飯能光機との間に、雇用保険法四条一項にいう同法の失業給与を受ける「被保険者」すなわち「適用事業に雇用される労働者」としての要件を具備していないので、被告は原告に対し、本件処分をしたものであり、本件処分は適法である。右の「雇用される労働者」とは、事業主の支配を受けその規律の下に労務を提供し、その労務の対価として事業主から賃金、給料これに準ずるものの支払いを受け、これらの収入によつて生活する者をいうところ、次のように、原告と飯能光機との間にはそのような雇用関係が存在せず、委任に基づく役務の提供とその報酬の支払があつたのにすぎない。

(一) 原告主張5(一)の事実は争う。原告は経営コンサルタントの資格を有し茗谷会員で、その紹介により飯能光機から経営相談の委任を受けたのにすぎない。したがつて、飯能光機は原告に対し、委任にあたり履歴書の提出を求めたこともないし、面接による人物及び能力判定もしていない。

(二) 原告は飯能光機の依頼により、同社の賃金体系等労務管理、体質改善の諸施策についての企画、指導等の役務を提供したものであるが、右役務の提供は、雇用関係に基づくものではなく、民法上の委任ないし準委任契約によるものである。ちなみに、飯能光機の採用に関する内部の決定手続もない上、原告と飯能光機との間には雇用契約書の取り交しがなく、口頭でされたのにすぎない。

(三) 同(三)の事実は争う。飯能光機は必要の都度個別的に原告に対し各事項を特定の上経営相談の委任をし、独立して職務を行ない、副長杉本の指揮監督を受けていなかつた。

(四) 原告の行なつた業務内容は、企業外の経営コンサルタントの専門家として、その知識、経験、技能を用い、その賃金体系、諸規程の整備、労務管理の指導等を行なつたもので、その性質上、原告及びその業務自体が飯能光機の組織及び業務内容からみてこれに組込まれておらず、あくまで助言者、援助者の域に止まり、直接執行機能にたずさわるものではなかつた。

(五) 同(五)の事実は争う。(1)原告の出務日は原告が都合のよい日に飯能光機に行き執務すればよく、その日数は月間三日ないし一九日、平均一〇日でその年度毎の日数は原告主張のとおりである。右以外の日に原告は、他の事業所である森川産業、旭硝子の経営コンサルタントの業務を行ない、決して、飯能光機の業務にのみ専念していたものではなかつた。また、(2)勤務時間は、飯能光機の就業規則によると、午前八時一五分から午後四時一五分までのところ、原告は、おおむね午前一〇時頃から、午後四時三〇分ころまで執務しており、時折、夜遅くまで執務することもあつたが、これも飯能光機の勤務命令に基づくものではなかつた。(3)執務場所は、飯能光機の総務課別室あるいは会議室で、特定しておらず専用の机もなかつた。

(六) 同(六)の事実は争う。(1)飯能光機が原告との間で工場長の八割相当額を月額とする旨合意したことはない。(2)原告に対する報酬は、原告の申出により、出務回数に応じて所定額が指導料の名目で支給され、原告はこれを茗谷会コンサルタント日下正一名義で受領し、飯能光機もこれを了承していた。右指導料の支払方法は、毎月一回出務回数に応じて当該月毎に支払われていたが、指導料の締切日及び支払日は特定されておらず、一か月一二日分の日給月給として支払われたこともない。(3)原告は、指導料改訂の際にも「経営近代化研究所」なる原告の個人称号をもつて、「経営指導料改訂」の字句を用いて申し入れ、その際、改訂の根拠として日本生産性本部の経営コンサルタント指導料基準を提示し、飯能光機はこれに基づいて、右改訂に応じていた。(4)右指導料については、所得税法二八条一項の給与所得ではなく、同法二〇四条一項二号(同法施行令三二〇条二項企業診断員)に該当する報酬金等として源泉徴収がなされているのであって、原告からこれを給与所得として源泉徴収すべきであるとの申し入れは全くなされていなかつた。(5)原告は、飯能光機との間で、賞与及び退職金の取り決めもなさず、これらの支給がないことについて同社に抗議したこともないばかりか、かえつて、同社と委任契約を締結した際、原告は副長杉本に対し「あなた方は賞与、退職金があつていいですね。私どもにはこのようなものがなくて羨しい。」とさえ述べ、自ら同社の従業員でないことを言明していた。(6)出務日の原告の昼食は原告の希望に応じた品物を飯能光機の費用でとつていた。

第三証拠〈省略〉

理由

一  訴の利益について

原告が本訴で主張する本件処分の取消により受けられるべき雇用保険法二二条一項一号の求職者給付の所定日数三〇〇日は離職の翌日である昭和五〇年七月二六日から一年の期間内の失業している日であることは同法二〇条に定めるところであり、昭和五一年七月二六日の経過とともに右給付を受けられる期間が経過したところ、原告本人尋問の結果によると、原告は離職後少くともこれに続く一年間は失業していたものと認められ、原告は本訴が認容されることにより前記期間内の失業していた三〇〇日につき同法に基づく求職者給付請求権の存在が確認され、また、本訴によるのでなければその目的を達しえないものというべきであるから、原告の本訴請求は、行政事件訴訟法九条括弧書にしたがい、本件処分の取消を求める法律上の利益を有するものである。

二  原告の請求原因1(飯能光機が雇用保険法の適用事業所であること)、3(本件処分)、4(審査、再審査各請求の棄却)の各事実については、当事者間に争いがない。

三  原告は、飯能光機に昭和四二年三月一五日に雇用された従業員として就業中昭和五〇年七月二五日解雇により離職したもので、雇用保険法四条にいう「適用事業に雇用される労働者」にあたり被保険者として同法所定の失業給付を受けられる資格者であるから、本件処分は違法で取消を免れないと主張する。

1  各成立に争いのない甲第一ないし第一〇号証、甲第一一ないし第一三号証の各一、二、甲第一四ないし第一六号証、甲第一八ないし第二一号証、甲第二八号証の一、二、甲第三〇ないし第三三号証、甲第三四号証の一、甲第四一号証、甲第四三号証の一、六、甲第四四、第四五号証の各一、甲第五一号証の一ないし三、甲第五二、第五三号証、甲第六六、第六七号証、甲第六八号証の一、甲第七〇号証の七、八、甲第八三号証の一、甲第九一号証の六、甲第一〇六号証の三、甲第一一一号証、各原本の存在と成立に争いのない乙第三号証の一、二、乙第五、第七号証の各一、二、乙第八号証の一、乙第九号証の一ないし三、乙第九号証の一六ないし五九、七六、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から各成立が認められるその余の甲各号証(但し、甲第五四、第六〇号証、第六一号証の一ないし五、第一〇七号証、第一〇九号証の一ないし三を除く。)、証人杉本久敬の証言及び弁論の全趣旨から各成立が認められる乙第九号証の四ないし一五、六〇ないし七五、七六ないし七、九乙第一〇号証の一ないし八、乙第一一号証、証人荻野和夫、同杉本久敬(但し、一部認定に反する部分を除く。)の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  飯能光機の副長(昭和四三年から次長と改称)杉本は親交のあつた労働者の公務員石川淳二に対しかねてより経営改善のため適当な者の推薦を依頼していたが、石川が昭和四二年三月ころ杉本に対し、職務上知つていた日本生産性本部茗谷会の会員で経営コンサルタント(格別資格試験があるわけではないが経営に関する高度の知識経験を有する者をいう。)をしていた原告を紹介し、杉本は石川とともに原告に面接し、その人物をみて契約した。しかし、石川からの紹介であることからその能力を信頼し、履歴書も提出させなかつた。また、茗谷会は、親睦団体に近く、原告はこれと雇用関係がないことはもとより、飯能光機との契約につき何らの制約をすることのできる地位にはなかつた。

(二)  飯能光機は旭硝子の子会社で、副長杉本も旭硝子からの出向社員であつたが、経営方針が親会社一色で独自性に乏しく、その組織機構をはじめ、人事、労務、経理などの管理体制が確立されておらず、そのために諸種の内部規程を整備する必要があり、また、当時赤字経営であつたためその業務を改善する必要に迫られていた。そこで、杉本が(一)のように経営コンサルタントを求めたのであり、その性質上、その経営コンサルタントは、企業の一員になり、経営者である副長杉本らのその時々における経営方針に沿い、総合的な観点に立つて、企画立案し、会議で決定された事項について継続的にその実施につき指導監督し、長期にわたり、会社業務の改善を実現することがその使命であつた。契約方式の点からみると、企業外から個別的一時的(静的)診断を行なう委任としてではなく、企業内の一員となり総合的継続的(動的)指導監督による実施までを内容とする雇用がその目的に適していた。

(三)  副長杉本は飯能光機における事務系統の最高責任者であり(工場長は技術系統の責任者であつた。)、会社経営に関する決定権限は実質上杉本がもつていたが、その相談役、顧問役の地位に原告を置き、常時原告と相談の上、企画立案すべき内容について、杉本が原告に直接指示し、その完成期限も個々に定めて、その仕事を指揮し、監督していた。

(四)  原告が契約期間の約八年間にした業務内容は、極めて多岐にわたるが、(1)飯能光機の組織機構を抜本的に改善し、組織基本、業務分掌、職務権限などの諸規程の立案、整理、(2)労使関係の正常化のため各種団交事項資料の準備、回答事項の立案、結果の整理、(3)職能資格制度、賃金、管理職給与、退職金、参事制度など人事管理の基本方針と諸規程の立案、(4)勘定科目設定、その他会社の計算に関する制度の整備、(5)業務全般についての改善案の立案、(6)主として総務課員に対する各立案事項の実施の指導監督が主要なものであつた。仕事の内容は、杉本と机を並べて常時杉本の意見を聞きながら企画立案し、飯能光機の関係会議(議長は杉本、構成員は総務部長、総務課長などが多かつた。)に出席して、原案の説明、意見の陳述、結果の整理にあたり、その決定された事項の実施につき、関係職員を指導監督していた。

(五)  出務状況は次のとおりである。

(1) 出勤日は、業務内容が自宅での準備作業を要したこと、後記のように給与額を定めたため出勤日が月一二日と逆算されたことなどから、一か月に一二日程度を目標とし、実際の出勤日は一時期は毎週火曜日、木曜日と決められたことがあつたが、飯能光機の指示により具体的に出勤を要する日が定められ、また、予定された出勤日について、飯能光機の都合でこれを取消し他の日に変更されたことも屡々あつた。その実際の出勤日数は別表出勤日数該当欄記載のとおりである。自宅に居た日は無給ではあるが、出勤日に命じられた企画立案の準備作業をしており、原告は飯能光機に勤務した約八年間飯能光機の職務にのみ専念し、他の経営コンサルタントの委任等を受けたことがない。但し、昭和四二年三月契約後間もなく若干の日に、従前勤務していた森川産業にその後始末に行つたことはある。また、旭硝子に行つたことがあるがそれは、杉本の命によるもので、企画案の内容上親会社の旭硝子との打合せを要したからであり、旭硝子から経営相談の委任を受けてしたものではない。

(2) 勤務時間は、飯能光機の就業規則では、一般従業員の場合午前八時一五分から午後四時一五分一週四八時間とされていたが、原告の場合は、通常午前一〇時頃から午後四時三〇分頃まで執務し、時には、杉本副長の指示により夜一二時頃まで残つて仕事をしたこともあり、自己の都合で早退したことはなかつた。

(3) 執務場所は、多くの期間は、副長杉本の近くに専用の机(抽出付)が与えられ、その後時期的に総務課内の一部、会議室の一部、個室などを利用し専用の机(抽出付)が与えられていた。

(六)  労務の対価については次のとおりである。

(1) 昭和四二年三月契約当時飯能光機工場長柴田の八割額を目途とすることとなり、当時同人の月給が金一五万円であつたため、原告については金一二万円を目標とし、月一二日出勤し、一日金一万円の割合で計算した出勤日数に応じた額を月毎にまとめて支払う日給月給方式とした。右日給額はその後従業員の給与改訂に伴ない逐次増額され、右増額にあたつては日本生産性本部の定めた一応の経営コンサルタント報酬基準(雇用方式による場合)をも一つの参考資料とした。その関係は別表の日給額、年間給与総額該当欄記載のとおりである。

(2) 右のように日給月給で仕事の内容に関係がなく一定しており、出務しなかつた日の給与はなく、その仕事の完成に支障がなくても支払われなかつた。ところで、委任契約の場合茗谷会の定めた一応の報酬基準によると、別表委任の場合の規定報酬額欄記載のとおりであるところ、実際に原告が取得した額は、別表年間給与総額欄記載のとおりで、右委任の場合の約三分の一(正確には三六・四三パーセント)相当の低廉な額であつた。もつとも、原告が飯能光機に対し、茗谷会所属の原告名義を用いたこともあるが、それは中山総務課長がそのような名義を用いるよう指示したので、これに従つたものである。

(3) 原告が飯能光機に対し、日給額の増額を求めた際、指導料の名目を用い、茗谷会の報酬基準もその資料に提出したが、これらを参考にして決定しただけであり、日給月給の性質を変更したものではない。

(4) 飯能光機は原告に対する日給月給の支給につき源泉徴収をしており(その名目が報酬金としてであつても右労務提供の実態に影響がない。)、所得税の申告については、原告個人が行なつた。飯能光機の経理上は原告に対する支払は雑費の費目からしていたが、雑給の費目の意味に解される。

(5) 飯能光機は原告に対し賞与、退職金の支給をしていないがそれは日給月給方式によつたためである。

(6) 出務日の原告の昼食費は、原告負担が原則であるが、時には飯能光機が負担したこともある。

以上のとおり認められ、一部右認定に反し、飯能光機は原告と委任契約をしたのにすぎず、雇用契約をしたことがない旨述べる証人杉本久敬の証言中、同人の独自の法的見解に基づく部分は採用し難く、その事実に関する部分はにわかに信用し難い。なお、被告主張の事情のうち、履歴書の未提出の点は、このことから雇用ではないと速断できる程決定的ではないし、採用の内部意思決定手続、労働契約の文書がないとの点は、前記認定のような契約方式でもなお雇用であるとの認定を妨げないから失当である。他に、前記認定を左右する証拠はない。

2  右認定事実によると、いわゆる経営コンサルタントであつた原告が、昭和四二年三月飯能光機の経営者副長杉本の個別的面接による人物審査を経て、副長の相談役、顧問役の地位に就き、以後約八年にわたり、副長の時々刻々変化する経済情勢に対応した経営方針に従い、その直接の指揮監督のもとに、総合的観点に立つて、飯能光機の組織、人事、労務、経理の管理体制確立のため諸規程を継続的に立案し、関係会議の決定した諸規程の施行実現について関係職員を指導監督し、赤字経営の改善につき業務全般の改善策を企画立案し、決定された事項の実施の指導監督をするなどの各業務を行ない、飯能光機の指示した日に月一二日程度出勤し、在宅日もその準備作業をして飯能光機の職務にのみ専念し、出勤した場合通常の従業員と同程度の時間勤務し、執務場所も副長の側など適当と思われる場所に専用の机が与えられて執務し、労務の対価は、当初工場長の八割相当額を目途に月一二日出勤し一日金一万円などの日給月給制で支払われ、仕事の内容によつてその報酬額に変りがないなど前記認定の諸事情が存在することが明らかである。このような事情にある場合原告が飯能光機とした労務契約は、雇用保険法四条一項にいう「雇用」にあたるものと解するのが相当である。

したがつて、原告は雇用保険法の適用を受ける事業所である飯能光機に昭和四二年三月一五日から昭和五〇年七月二五日の解雇の日まで雇用されていた労働者であり、右解雇により離職し、同法の失業給付を受ける資格を有するものということができる。しかるに、その雇用関係がないので同法の被保険者にあたらないとして原告の同法八条、九条による確認請求を棄却した本件処分は、違法であり取消を免れない。この点の前記原告主張は理由がある。

四  よつて、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高木積夫 小林敬子 坂部利夫)

別表 出勤日数、給与額表〈省略〉

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